2014年11月26日水曜日

神はいるか


朝日と夕陽は、僕にとっての神である。
僕は最近そのことに気がついた。


子どもの頃、僕はマンションの4階に住んでいて、その南側のベランダから見える景色を眺めるのが大好きだった。特に気に入っていたのは、沈んでいく夕陽が空を赤く染め、遠くに見える富士山をシルエットだけに切り抜いていく夕焼けだった。


二十歳前後の数年間、僕はトラックの運転手をしていた。
まだ暗いうちに出発して目的地に向かうとき、少しずつ本来の力強さを取り戻しながら昇っていく朝日を浴びながら運転するのが大好きだった。


僕がサーフィンを始めたのもちょうどその頃だった。
まだ暗いうちに海に着き、白み始めた空が朝と夜のグラデーションを描くうちに、ひっそりと海に漕ぎ出すことは、何か美しい世界の神秘の裏側にそっとふれるような感覚があった。


その後、僕は雷に打たれるようにしてクリエイターを目指すことになったのだが、うまくいかなかった。挫折したのだ。数年ののち、転がるようにしてそこから逃げ出した。


僕は朝日からも夕陽からも遠ざかってしまった。僕はクリエイターになるためにサーフィンを一度やめたのだ。好きなことを我慢して挑戦しなくてはいけないと思ったからだ。
だが、それらの価値についてわかっていなかったことが、僕が挫折した原因の一つと考えるようになった。


挫折の経験は僕にとって苦いものだった。僕は自分の人生を損なってしまったと感じていた。その先には何も希望はなかった。悔しさと情けなさと苦しさだけが残った。
だが僕には、サーフィンがあった。
僕は、また美しい世界の神秘の裏側に触れ始めたのだ。


そんな時に、ある人に出会った。その人は、僕がまだ正確に掴むことのできない、美しい世界の神秘の裏側について語っているように思えた。

美しい夕陽を見ることの意味(2,114字)
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar68390


そして紆余曲折を経て、僕はまたクリエイターを目指すことにした。
7月から半年間かけて、岩崎夏海クリエイター塾でクリエイティブの真髄について学んでいる。
表現の形式はなんでもいいと思う。
僕はただ、あの頃に見た美しい夕陽の、その裏側にそっとーー愛する人の髪を撫でるように、触れたいのだ。


そして神とは、圧倒的な沈黙の中で自分の進むべき道を指し示す存在なのだ。
その道は誰かのドグマに従うことではなく、自身の生活の身近なことに聖なるものを見いだす心性への道のりなのだ。

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