2015年6月27日土曜日

歴史を学び未来へ補助線を引く 第二期岩崎夏海クリエイター塾 第十回


皆さまこんにちは、波乗りたいし(@naminori_taishi)です。

2015年6月13日に渋谷で行われた、ハックル氏(@huckleberry2008)こと岩崎夏海氏(以下ハックル氏)の主催する「第二期岩崎夏海クリエイター塾」の第十回に参加したので、レポートをお届けします。

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いま、あらゆるクリエイターが「作る」ことの難しさの前に立ちすくんでいる。
混沌とした時代の価値観のなかで、正解を探り合うような様子見的雰囲気が漂っている。
宿題となっていた映画『ウォーリアーズ』で描かれたものから、この停滞から抜け出すヒントを探っていこう。

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  • 感覚的アプローチと思考的アプローチ
  • 歴史を学ぶ


■感覚的アプローチと思考的アプローチ

映画『ウォーリアーズ』から感じるのは、「作ろうとする強固な意志」だとハックル氏は言う。
多くの人は「作る」ことに対して乱暴になれない。
ほんの一部のシーンを除いてオールロケで撮影されたこの映画には、映像的な瑕疵が散見されるにも関わらず、歴史に残る価値が吹き付けられた。

時代的な幸運も遠因となってはいるが、ぎりぎりのところに踏み込んでいく覚悟がなければ、この作品が世に送りだされることはなかっただろう。
作品に対する情熱は、自分が辛いと思う状況に追い込んでいくことで高められるのだ。そしてその泥臭さや不完全さが胸を打つ。

同様な例として、幾つかのエピソードが紹介された。
・某騎手を感動させたAKBのスピーチ
・猟奇殺人被害者家族の心情
・某俳優の末期ガン発表記者会見

これらは、多くのコンテンツが子供だましに堕するなかにあって、過酷な状況下でまろび出る偶発的な美しさを持っているとハックル氏は言う。

さらに、漫画『ドラゴンボール』における、無自覚に生じた神話性が紹介された。
こちらはTwitterでも発言されている。


ツイート中で紹介されているハックル氏のブロマガはこちら
教育考:その22「神話に見る父親の教育」(2,242字)
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar808602


これらのいわば自然発生した価値とは対比的に、宮崎駿氏は神話の価値を認めた上で、そこから抜け出そうとするようなコンテンツ制作を行なっている。
このことをハックル氏は日本の里山を例に挙げ、美しい自然が天然と人工のバランスから生まれることを鑑みれば、偶発性を持つ感覚的アプローチと思考的アプローチの両方が必要なのだと説明する。

コンテンツは感覚的アプローチ(情熱)で熱し、思考的アプローチで冷ます、いわば焼き入れのような工程を経ることで歴史に耐え得る強度を持つに至るのだ。

■歴史を学ぶ

価値観が定まらない時代にあって、クリエイターが学ぶべきは「歴史」だとハックル氏は説く。
歴史を学ばずして時代の流れは読めない。時代の流れを読まずしてクリエイションは成り立たない。

"歴史というのは非常に重要なものであることが再認識できた。なぜ重要かというと、「時代の流れ」が分かるからである。"
なぜ歴史を学ぶ必要があるのか?(2,679字)
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar256188

ハックル氏は歴史を学ぶ重要性を、数々のブロマガやTwitter上でも言及し、ご自身も実践されている。
そして特に70年代後半に時代を読むヒントを見出そうとしている。
クリエイター塾でも、今回の『ウォーリアーズ』(1979年)、第八回・『家族ゲーム』(1983年)、第九回・『太陽を盗んだ男』(1979年)などを観てきた。

70年代は高度経済成長期とバブル経済の谷間で暗い時代だった。
その成れの果てに「金属バット殺人事件(1980年)」が起きる。にも関わらず、80年代の原宿文化、バブル経済に代表される享楽・狂騒の時代が幕をあけようとしている、夜明け前のような魅力が70年代後半にはあるとハックル氏は言う。

気分は暗い(鬱)のに、経済・社会には明るい(躁)兆しが見えているという状況は、まさに現在と重なるようにも思える。
クリエイターは過去の名作と現在に点を取り、未来のほうへその補助線を伸ばしていくのだ。





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第一期岩崎夏海クリエイター塾レポート・リンク集
http://blogger.naminoritaishi.com/p/huckleberry.html


2015年6月4日木曜日

事を成し続けるクリエイターとは 第二期岩崎夏海クリエイター塾 第九回


皆さまこんにちは、波乗りたいし(@naminori_taishi)です。

2015年5月23日に渋谷で行われた、ハックル氏(@huckleberry2008)こと岩崎夏海氏(以下ハックル氏)の主催する「第二期岩崎夏海クリエイター塾」の第九回に参加したので、レポートをお届けします。

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すべての人の人生に共通するテーマとは何だろうか。
成長、成功、事を成す。さらに言えば、「事を成し続ける」ことだろう。
では、「事を成し続ける」にはどうすればいいのだろうか。
宿題となっていた映画『太陽を盗んだ男』、『アダプテーション』で描かれたものと絡めながら見ていこう。


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  • 失敗の哲学
  • 悪口の美学
  • 分割された自分


■失敗の哲学


「失敗は成功のもと」という言葉がある。
ハックル氏は、プロ野球選手としても監督としても日本一に輝いた野村克也氏の「失敗と書いて成長と読む」という名言を紹介する。

事を成すには成長が必要であり、成長には失敗が不可欠なのだ。
更に言えば、失敗を意図的に作ることが必要だとハックル氏は説く。
ハックル氏は、普段から「人前で面白いことをする」と規定し、小さな失敗を繰り返すことで、「何がつまらないか」のピントを合わせている。失敗をマネージすることで、事を成し続けることに繋げるのだと言う。

映画『太陽を盗んだ男』最大の魅力は、歴史的資料としての価値だ。今では絶対に撮ることができないであろうアバンギャルド的手法が許された時代に、隔世の感を禁じ得ないとハックル氏は言う。時代ならではの要素を取り込むことを「時代と寝る」と表現するが、まさにこの作品は「時代と寝る」ことに成功した稀有なものとなった。
だがそれとは裏腹に、映画を「うまく撮り続ける」ことは難しい。長谷川和彦監督には傑作を作り「続け」られる能力まではなかった。それほどまでに「事を成し続ける」ことのハードルは高いのだ。ハックル氏はこの原因を「失敗力」がなかったのではと分析している。

■悪口の美学


失敗をマネージできるようになる過程で重要なのは、失敗している自分を客観視することである。失敗している自分と、その失敗に巻き込まれている人物とを俯瞰して観察するのだ。
そのような客観視を得るカギは「悪口」にある。なぜなら「悪口を言う」というのは、とりもなおさず人に関心を持って「判断」をくだすことだからだ。人を「バカ」と決めつけることが重要になる。

だがここにふたつの壁がある。
ひとつめは、人をバカと決めつけることが道徳的に良くないというもの。ふたつめは、自分もそういう側面があるかもしれないという考えだ。

クリエイターはこのデメリットを受け入れる必要がある。
80:20の法則からいえば、社会に存在するのは「盲目的なバカ80:客観性を持った人物20」というバランスになるため、クリエイターはマイノリティーとして、嫌われることを厭わない精神性を持つ必要があるのだ。

それに加えて自分のことは一旦棚に上げ、俯瞰の視点で他人を客観視できないと、自分も客観視できるようにならない。先ずは他人をバカにしてはいけないという道徳観を乗り越え、その俯瞰の視点に自分も入れることが必要なのだ。

さらに詳しくいうと、クリエイターへの道は、人が元来持っている、
「他人を悪く思う―――自分を良く思う」
という気持ちが、社会からの圧力やそれに対する適応を経て、
「他人を良く思う―――自分を卑下する」
ようになった後に、客観的な洞察の中から、
「他人を悪く思う―――自分を良く思う」
というところへ戻ってくることだ。
一周回って他人をバカと決めつけ、自分の能力の高さを正当に評価することで、客観性が認るのだ。

客観視すること、客観視の難しさとクリエイションとの関係については、ハックル氏のブロマガに詳しい。

[Q&A]早咲きと遅咲きの違いは?(2,631字)
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar803679


■分割された自分


では、このようにして身につけた客観性の先にあるものは、なんであろうか。
それは、映画『アダプテーション』に描かれている、「分割された自分」である。
この映画に登場するあらゆる人物が、脚本家の内面のうちのある一部分を投影しているのだ。そしてそれぞれの特徴を増幅させることで、人物造形が形づくられていく。
クリエイションに向かって深く潜って行くと、分岐した全ての自分に乗っかっていくことになる。そうしなければ作ることができないのだと、ハックル氏は説明する。

この様相は、筒井康隆氏著『虚人たち』でも描かれているし、ある特徴を増幅するという点については、松田優作氏の俳優としてのあり方がそれを良く表している。
松田優作氏が増幅したものは、自分のなかにある「人殺し」としての感情だった。

"深淵を覗き込んだ人間の顔というものを、我々は映画「ブラック・レイン」において見ることができる。この映画に登場する人殺しを演じた松田優作が、まさにそうした存在なのだ。"
週末に見たい映画#014「ブラック・レイン」(2,166字)
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar166834


このように、クリエイターとしての成功は、深く潜っていった先にしか見つけることはできない。そしてその過程でクリエイターが引き受けるべきものは恐ろしくもあり、興味深くもある。
ハックル氏が先のブロマガで紹介されているニーチェの言葉を引用し、本稿を終えたい。

"怪物と戦う者は、自分も怪物にならないよう注意しなければならない。深淵を覗き込む時、深淵もまたお前を覗き込んでいるのだ"




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第一期岩崎夏海クリエイター塾レポート・リンク集
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