2014年11月26日水曜日

神はいるか


朝日と夕陽は、僕にとっての神である。
僕は最近そのことに気がついた。


子どもの頃、僕はマンションの4階に住んでいて、その南側のベランダから見える景色を眺めるのが大好きだった。特に気に入っていたのは、沈んでいく夕陽が空を赤く染め、遠くに見える富士山をシルエットだけに切り抜いていく夕焼けだった。


二十歳前後の数年間、僕はトラックの運転手をしていた。
まだ暗いうちに出発して目的地に向かうとき、少しずつ本来の力強さを取り戻しながら昇っていく朝日を浴びながら運転するのが大好きだった。


僕がサーフィンを始めたのもちょうどその頃だった。
まだ暗いうちに海に着き、白み始めた空が朝と夜のグラデーションを描くうちに、ひっそりと海に漕ぎ出すことは、何か美しい世界の神秘の裏側にそっとふれるような感覚があった。


その後、僕は雷に打たれるようにしてクリエイターを目指すことになったのだが、うまくいかなかった。挫折したのだ。数年ののち、転がるようにしてそこから逃げ出した。


僕は朝日からも夕陽からも遠ざかってしまった。僕はクリエイターになるためにサーフィンを一度やめたのだ。好きなことを我慢して挑戦しなくてはいけないと思ったからだ。
だが、それらの価値についてわかっていなかったことが、僕が挫折した原因の一つと考えるようになった。


挫折の経験は僕にとって苦いものだった。僕は自分の人生を損なってしまったと感じていた。その先には何も希望はなかった。悔しさと情けなさと苦しさだけが残った。
だが僕には、サーフィンがあった。
僕は、また美しい世界の神秘の裏側に触れ始めたのだ。


そんな時に、ある人に出会った。その人は、僕がまだ正確に掴むことのできない、美しい世界の神秘の裏側について語っているように思えた。

美しい夕陽を見ることの意味(2,114字)
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar68390


そして紆余曲折を経て、僕はまたクリエイターを目指すことにした。
7月から半年間かけて、岩崎夏海クリエイター塾でクリエイティブの真髄について学んでいる。
表現の形式はなんでもいいと思う。
僕はただ、あの頃に見た美しい夕陽の、その裏側にそっとーー愛する人の髪を撫でるように、触れたいのだ。


そして神とは、圧倒的な沈黙の中で自分の進むべき道を指し示す存在なのだ。
その道は誰かのドグマに従うことではなく、自身の生活の身近なことに聖なるものを見いだす心性への道のりなのだ。

2014年11月21日金曜日

岩崎夏海クリエイター塾 第九回に参加してきました!


皆さまこんにちは、波乗りたいし(@naminori_taishi)です。

2014年11月1日に渋谷で行われた、ハックル氏こと岩崎夏海氏(以下ハックル氏)の主催する『岩崎夏海クリエイター塾』の第九回に参加したので、レポートをお届けしたいと思います。

本日のメニューはこちら!

前半
  • 盗作で屠られる人々と本質を盗むハックル氏
  • 名作が教えてくれる本質へのアプローチ
後半
  • 凡庸で無個性な主人公
  • 共感アンケート
  • 問題の本質にアプローチする
  • 簡単だけど難しいクリエイト


前半

盗作で屠られる人々と本質を盗むハックル氏

コンテンツの価値とは何かを探る、岩崎夏海クリエイター塾。今回はコンテンツを巡る、ある問題が取り上げられました。
ネット上でフォロワーを稼ぐための「パクツイ」や、ネット上で盗用するならまだしも、それらの画像を集めて出版までしてしまったK氏などの「盗作」にまつわる多くの問題がありました。

こうした問題を見るにつけ、ハックル氏の胸にはいつも複雑な思いが去来するのだそうです。

なぜなら、ハックル氏は自身を「盗作家である」と自認し、オリジナリティーなどというものを持たず、盗作しかしていないにも関わらず、誰からも訴えられず問題にもならないからだと言います。

そのようなハックル氏自身の意識との乖離がなぜ起こるのか。それは、多くの人が作品の表面的なものにしか価値を置いておらず、世の中で騒がれているものは盗「作」などではなく、ただの「横流し」で何の価値もないからだと断じます。

両者の違いとは何でしょうか?
それは、「本質に目を向ける」ことだとハックル氏は説きます。
「本質」はいくら盗んでも訴えられることはなく、作品を世に出すのならば、本質に目を向ける能力を身につける必要があると言います。

著作の一つである「もしドラ」で何を「盗んだ」のかがわかるブロマガ記事です。

[連載第4回]「もしドラ」はなぜ売れたのか?「アーカイブからの引用」 (2,592字) http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar14359


ここで、社会における「理想論」とは何だろうか、という問いかけがありました。
このひどくあいまいで、主語のない言葉は、誰にとっての理想なのかと。
そして「競争社会」はなぜ行われているのか。
なぜ人間、ひいては動物がこの世に出てから今日に至るまで、あらゆる社会で競争が行われ、これからもそれが続いていくのか。

それは、「適度に殺される」ことが合理的で理想的であり、「競争」こそが社会にとっての「理想論」だからだとハックル氏は説きます。
そして「競争社会」においては「皆が幸せ」は不可能で、競争に勝ったものだけが幸福に浴するのだと言います。

ハックル氏は正義的な想いから、本質に目を向ける能力を身につければ、訴えられることなく作品を作ることができるということを伝えようとしてきたそうです。
しかしながら、その思いが伝わらないという経験を多くした後、この考えに至ったそうです。
そして彼らーー著作権絡みの問題を起こす人間は、嬉々として「屠(ほふ)られる」側として生きているのだと結論付けます。

物事の表面をなぞるようにして問題を起こし、敗れて叩かれて社会や業界から屠られる、競争社会であるが故に生まれてくる存在を「STAY」する必要性を学んだのだそうです。

この残酷さをどう受け入れるのかについて、ブロマガ連載の競争考で触れられています。

だから、論理的に考えれば、人間は死や敗北を肯定的にとらえるしかなくなるのだ。死ぬことはいいことだ、負けることはいいことだ――ととらえることで、初めてその人生や存在を肯定できるようになるのである。競争考:その7「残酷さの受け入れ方」(1,813字) http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar544482


名作が教えてくれる本質へのアプローチ
では、どうすれば表面的なものにとらわれず、本質に迫ることができるのでしょうか。
これには判断の難しさがあり、なかなか本質にたどり着くことができないため、本質にいかにアプローチするかを学ぶ必要があると、ハックル氏は説きます。

そこで、宿題となっていた、小説「第九軍団のワシ」を「疑いようもなく面白いもの」として読むことができたか、ということが重要であるとして、なぜ著者であるローズマリ・サトクリフがこのような魅力的な作品を上梓できたか、執筆に伴う数々の障害をどのように「ジャンプ」したのかについて話されました。

ハックル氏によれば、著者は本質にアプローチする方法を学ぶことで、
・女性でありながら魅力的な男性的世界観を描く
・脚が悪かったにも関わらず疾走感あふれる描写を行なう
というように、空想で現実の壁を破るーー「ジャンプ」することに成功したのだそうです。

では、著者が採った本質へのアプローチとはどんなものだったのでしょうか。
それは、主人公・マーカスがある特徴ーー「矛盾した要素」を持っていることがヒントになります。

多くの鑑賞者がマーカスの矛盾が壁となり、魅力を感じることができないそうですが、この作品で魅力的に思えないシーンがあったとすれば、それは鑑賞者に問題があるのだとさえ、ハックル氏は言います。

これは、本質を見抜こうとする心持ちが、矛盾や葛藤ーー自分自身のものでもあれ鑑賞の対象となっているものであれーーを携えて生きていく、という決心の向こう側にあるのだということを教えてくれるのです。

このことを始めとして、作品中やハックル氏の日常の出来事や分析の中から、矛盾と葛藤を受け入れる心性の例が話されましたが、ここではトピックの提示のみに留めたいと思います。

・制限された中に美を見出す
・信用しないことの価値
・幸運は不幸の形をしてやってくる
・失敗はあえて怒る
・純粋なまでに不純な子ども
・自分を他人のように見る客観性
・無個性に怯える個性派


しかしながら、ものをつくるために価値観の本質に迫る道は、ある意味では社会性や生きやすさに逆らうバイアスを持つために、非常に生きづらくなってしまう可能性があるとハックル氏は指摘します。
その過程でよくないものーー反社会的なものに頼ってしまう人もいます。
ハックル氏が好んで見るテレビ番組のひとつである「なんでも鑑定団」で紹介される偉人たちが、早死にか長生きかのどちらかであることを例に挙げ、バランスをとることに成功するかどうかが、その命運を分かつことになると言います。

このようなリスクがあるにも関わらず、好奇心を満たすこの道は、その代償を払うに値する面白さがあるのだとして、授業の前半を結ばれました。



後半
前回の授業では、物語に洗練された世界観を付与する方法として、「問題解決思考」について話されました。
今回はクリエイトの本質である「換骨奪胎」において壁となる「味付け」についてが語られました。


凡庸で無個性な主人公
多くの人がコンテンツを作る際に陥りがちな過ちとして、「主人公が個性的である」というものがあるそうです。
ですが、主人公は凡庸で無個性であることが必要であるとハックル氏は言います。

そして、これまでに日本で生み出されてきたあらゆるコンテンツの中で最も理想的な主人公は誰か。日本人なら誰でも知っている、凡庸で無個性な主人公は誰かという問いかけがありました。

それは、「ドラゴンクエスト」の主人公であるとハックル氏は言います。鑑賞者ーードラクエで言えばプレイヤーは、無個性な主人公に自分を反映させることでその物語に入り込むのだそうです。
これは第三回授業での「究極のコンテンツは『観ている者の内面を反映する鏡』のようなものである」ということと繋がる部分があります。

そして、さらに共感を得る効果的な方法として、「欠点」を与えることが提示されました。
人は自分の持つ欠点に惹きつけられるため、多くの人が共有できればできるほどいいとハックル氏は言います。

ハックル氏はこの例として「電車で酔っ払いに注意できない」ということを挙げます。
これは「自分には勇気がない」という、多くの人から共感を得ることができる欠点であり、
・スターウォーズ
・バックトゥザフューチャー
・ドラえもん
などのコンテンツでこの欠点が使われていると指摘します。


共感アンケート
続いて、どんな欠点が共感を得ることができるのかを全員が考えて発表し、それに対してそれぞれが一人三票の持ち票で投票するという形式で、共感アンケートが行なわれました。

その結果を上位3位まで発表します。
一位・お金がない(10票)
二位・コミュ障(7票)
三位・友だちがいない、感情的、お金を稼げない、人から評価されない(各5票)

このように、人が何について悩み解決できずにいるのかを考え、ーー解決できるものではないが、何が根本的な問題となっているのかを見つけることが重要であるとハックル氏は言います。




問題の本質にアプローチする
問題の本質を見抜き、どのように向き合っていくべきなのか、ここでは幾つかのケースを例に挙げながら、このプロセスについて説明がなされました。

小説「第九軍団のワシ」で、主人公のマーカスは旅の終わりに、心の拠り所として苦しみのなかで思い描いていた故郷を、捨てることを選択します。
このことが「親を大事にすることは、本質的ではない」という考えに繋がることを示します。
なぜなら多くの場合、親や老人を大切にすることは、自分もそうして欲しいという感情からきているからだとハックル氏は指摘します。

本当に大事なのは、人の生命は軽いが故に世界が回っているという厳然たる事実を受け止め、その生命の循環に思いを馳せる心性なのだと。ある意味では、前半で取り上げた競争社会で敗れて屠られる人と同様に、いつかは自分もその循環の中に否応なく飲み込まれていくのだという覚悟を持つことだと、ハックル氏は説きます。

※再掲※だから、論理的に考えれば、人間は死や敗北を肯定的にとらえるしかなくなるのだ。死ぬことはいいことだ、負けることはいいことだ――ととらえることで、初めてその人生や存在を肯定できるようになるのである。競争考:その7「残酷さの受け入れ方」(1,813字) http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar544482

つまり、マーカスは故郷に帰るか現在の場所に留まるかという問題に対し、「親ーーひいては故郷を大事にしない心性」で故郷を捨てて辺境で生きる決断を下したのです。

他にも幾つかの例が挙げられましたが、ここではひとつだけ取り上げるに留め、他はトピックの提示のみとさせていただきます。

・努力放棄の非モテスパイラル
日本の底辺層に欠けている加害者意識
・武井壮氏のセクハラ炎上は三方よし


簡単だけど難しいクリエイト
そして最後に、次回の宿題となった映画「セント・オブ・ウーマン(Scent of a Woman)」のワンシーンを手掛かりに、クリエイティブへと向かう心持ちを敷衍します。

アル・パチーノ演じるスレード中佐が、ベアード校の公開討議で窮地に立たされたクリス・オドネル演じるチャーリーを救うために演説を打つ感動的なシーンです。

私も何度か人生の岐路に立った
どっちの道が正しい道かは判断できた
いつも判断できた
だが、その道を行かなかった
困難な道だったからだ
Now I have come to the crossroads in my life.I always knew what the right path was; without exception, I knew. But I never took it. You know why? It was too...damn...hard


多くの人は誤った道を選んでいく。
正しい道は、自分を犠牲にする道に踏み込んでいくことである。正しい道に飛び込んでいくことは、困難を選び取ることである。
困難と向き合いクリエイティブな道に進めば、その真髄にたどり着き、素晴らしいコンテンツをいとも簡単に生み出すことができるのだとして、授業を締めくくられました。


まとめ
クリエイターならば、物事の表面的なものに価値を置かず、本質に目を向けよう。そのためには、矛盾や葛藤を携えて生きていく決心が必要だよ!

問題の本質を見抜き向き合うためには、受け入れ難いことを受け入れる心性が必要だ。正しい道は困難な道だが、その道を進めばクリエイティブの真髄にたどり着くよ!


終わりに
今月は岩崎夏海クリエイター塾が二回と池袋のニコ生本社でのヘヤカツイベント、岩崎夏海エンタメサロンとハックル氏主催のイベントに参加し通しの一ヶ月です。

そして、毎週月曜日のハックルテレビに加え、毎日のブロマガ、時々YouTubeのハックルTVと、さらにはこのまとめブログもかなり時間をかけて書いているので、その間も過去のブロマガを何度も読み返してまさにハックル氏まみれです。

それでもまだハックル氏の持つコンテンツの奥行きには、底が見える気配がありません。まだ潜っていかなきゃいけないのかと、時々息苦しさを感じるほどですが、これこそが僕が求めていたものという確信があり、好奇心は尽きません。


最後までご覧くださいましてありがとうございます!

またあそぼーね!

岩崎夏海クリエイター塾レポート・リンク集
http://blogger.naminoritaishi.com/p/huckleberry.html

2014年11月11日火曜日

波乗りたいしはアートである


「波乗りたいしはアートである」そのことに気がついた、というよりもそう思っていいんだと知った、と言った方がいいだろうか。
とにかく僕はある映画を観た後に、深々とため息をつきながらこう思ったのだ。
「そうか、僕がやっているのはアートなのか。」


その映画とは、ハックル氏のブロマガで紹介されていた、「イル・ポスティーノ」という映画だった。

週末に見たい映画#010「イル・ポスティーノ」(2,651字)
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar124820


映画「イル・ポスティーノ」は、イタリアの小さな港町に住むさえない青年ーーマリオが、世界的に有名な詩人ーーパブロ・ネルーダが亡命してきたことをきっかけに美しい詩の世界に触れ、その人生が大きく変わっていく様を描いた、とても美しい映画だ。
主人公は映画の中で、祖国へ帰ってしまった詩人ーーその時には彼にとってかけがえのない友人となっていたーーのために、詩人の詩に触れる前は気にも留めていなかった自分の住む島の美しさを、何かにとりつかれたように熱心に、録音機に収めて回るのだ。


僕はそれを見て、あぁこれがアートっていうことなんだろうなと、これがアートという何か正体のつかみづらいものの、しっぽのようなものなんだろうなと思ったのだ。
アートの原点は、自分の身近にある紛れもなく美しいものを、いま自分が持っている最大限の技術で誰かに伝えようとすることだと思ったのだ。


翻って波乗りたいしの美しさとはなにか、ひいてはサーフィンの美しさとはなんだろうか。それは、「移動」と「変化」である。
寝静まった街をこっそりと抜け出し、まだ寝ぼけまなこの首都高を走り、大いなる自然へと向かって行く、この「移動」のダイナミズムが美しい。サーフィンはサーフィンに行くことそのものが美しいのだ。


そしてサーフィンは「変化」のスポーツだ。上手くなる一歩ごとに、見える景色が変わっていく。
初めは板の上に這いつくばった景色が、立てるようになると一気に視点が上がる。
さらに横に進むことを意識するようになると、その奥行きに感動を覚える。もっと上手くなればもっと違う景色に出会うはずだ。


そして当たり前といえば当たり前なのだが、波は常に「変化」する。変化する波の奧へ奧へと「移動」する。このときに感じる高揚感は、紛れもなく「変化」と「移動」が組み合わさった、無意識に感じる美しさからくるのだ。


そういうわけで、僕はサーフィンをとても美しいものとしてとらえていて、それに取り組む「成長」という名の「変化」を、いま僕にできる最大限の技術でYouTubeを通じて公開している。

そう、波乗りたいしはアートなのだ。
https://www.youtube.com/user/Howtobreaktherule


またあそぼーね!

2014年11月10日月曜日

苦手を克服する


皆さまこんにちは、波乗りたいしです。

ハックル氏ブロマガのシリーズである「競争考」が実践的な内容に突入し、面白味を更に増してきた。
せっかくなので、実践してみようと思う。

競争考:その27「苦手を克服する」(2,051字)
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar652409


ハックル氏は苦手意識というのは、怠けるための言い訳に過ぎないと指摘する。正にそうだと思う。僕にとっての苦手意識は、「昼行性」と「規則正しい生活」である。
なので、この2点について掘り下げて行き、どう改善すべきかを考えたい。
ところでなぜ「昼行性」と「規則正しい生活」を獲得したいかというと、ひとつにはハックル氏のブロマガでクリエイティブであるための重要な要素として挙げられていたからだ。

クリエイト活動に最適な環境とは?(2,400字)
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar345039


岩崎夏海クリエイター塾に通うくらいなので、何としてもクリエイティブな能力を身につけたい、そして価値の高いコンテンツを生み出したいと思っている。
それにはハックル氏の言うことを無条件に信じてインストールする必要がある。ハックル氏と同じマインドであることがまず必要なのだ。
そしてもう一つは、正にこの苦手意識から数々の苦い思いをしてきたからだ。人生を毀損してきたと言っても過言ではない。
そしてハックル氏はこういった苦手意識は克服しなければならないと説く。


話しは逸れるが、競争考に度々出てくる「全てを兼ね備えた圧倒的な勝利」という言葉が大好きだ。
話しが逸れたついでに、この「昼行性」と「規則正しい生活」に対する苦手意識がいつから、どのように僕の心を占めるようになったか考えてみたい。
それはかなり遡るが、「小学校に行きたくない」更に言えば「幼稚園に行きたくない」と言う感情が源泉となっていることに気がついた。


いま思えば、学校や幼稚園に行きたくないと思うに至った理由など些末な問題でしかないが、その感情を叶えるために、「昼行性」「規則正しい生活」に対する苦手意識を育て始めたというのは間違いないだろう。以来30年に渡って育て続けたこの苦手意識をようやく克服するときがきたのだ。感慨。


さて、では苦手意識はどのように克服するか。その一つの方法として、その逆の能力について考え、それに擬似的に苦手意識を持つという提案がされている。
僕のケースで言えば「夜行性」「不規則な生活」となる。なんと驚きである。正にこの2点は僕の大の得意分野である。


「昼行性」「規則正しい生活」が苦手意識を持ったために、「夜行性」「不規則な生活」に得意意識を持つに至った僕は、8時間勤務の日勤と16時間勤務の夜勤がランダムに組み合わさったシフト勤務の会社で働いてる。
そんな僕には週5平日勤務など考えるだけでも恐ろしい苦行に思えるのだ。


実際には、週5平日勤務の仕事をしていた時期もあるのでちょっと大袈裟に言ってしまった。それでも、不規則で人がやりたくないようなことを好んで選んでいる自覚はあったが、実際にこのように掘り下げて考えることはなかった。


さて、今ここに生活態度に関する一見相反するふたつの要素が洗い出された。
「昼行性」「規則正しい生活」に対して「夜行性」「不規則な生活」というものである。前者には苦手意識を、後者には得意意識を持っている。これを一気通貫に解決する方法はあるだろうか。


それには一つしか方法はない。
この不規則な生活を送りながら、規則正しい何かを毎日同じ時間にーー昼行性的な時間にーー行なうことだ。それが相反する要素の両方に対する得意意識を持つための唯一の方法ではないだろうか。


と、いうわけで毎日朝6時前後に、クリエイティブに関するツイートをするという生活を始めてみようと思う。日勤と夜勤明けのときは大丈夫そうだが、休みの日、特に夜勤明けの次の朝はきつそうだ。。。


因みにこれは、文章を書くのが苦手であるという意識に対する挑戦でもあることを付け加えよう。


こうやって苦手意識を克服しようと考えを巡らせているうちに、苦手なものについて考えるのが楽しいと思う自分に気づいた。こんなに挑戦すべきものがある!


またあそぼーね!

2014年11月9日日曜日

誰得なのか全く分からないauスマートパス・修理代金サポートサービスの申請方法



auではスマートパスに加入しているとApple Care+の修理代金(今回は\4,400-)を補填してくれるのだが、それが機種変更の間際であったためにどうもややこしいことになって、修理代金サポート窓口のおねいさんに怒鳴ってしまった。


■下取りのために修理が必要だった
なぜ2年間使用したiPhone5を、機種変更の間際になってApple Care+で修理することになったかというと、iPhone6へ乗り換えるにあたって下取りプログラムを利用しようと考えていたのだが、背面にヒビ割れがあって下取りできないと言われてしまったからだ。


下取りができないとなると34,000円分のポイントがもらえなくなるので困っていると、どうやらau経由でApple Care+の2年間保証とやらに加入していたようで、それを使って直せるとアドバイスをもらったのだ。
しかも同様に加入したauスマートパスで修理代金を補填するサービスがあるので実質無料で直せると。


ラッキーとばかりにiPhone5の修理(今回は代替機との交換)を終わらせたところで、ある疑問が浮かんだ。
それは、すでに明日機種変更予定なのだが、修理代金サポートの申請は大丈夫なのだろうか、というものであった。


■機種変更前に手続き完了する必要が!?
しかしながら、自分の中では、auスマートパス加入期間内に行なった修理なのだから大丈夫なはずだ、そうあるべきだという予断があった。


そのような予断があって修理代金サポート窓口に電話したせいもあって、事情を説明後の第一回答が「機種変更前に手続きを完了する必要がある」だったために前述の怒鳴りに繋がった。
そんなバカな話しがあるかと。


ところが散々怒鳴り散らした後で、向こうで予め用意されていた代替案が提示された。
それは、Appleの修理明細がなくてもauの申請書を送付する際の消印日を以って有効とするというものであった。


■その案内は誰得なの?
その代替案を以って僕は溜飲をさげたものの、なんだか微妙な感情が残った。
それができるなら、Appleの修理明細の受付日なり修理完了日を正として判断すればいいのでは?そして「機種変更前に手続きを完了する必要がある」というのを第一回答とするのをやめればいいのでは?


しかもこの方法ではauの申請書とAppleの修理明細を2度に分けて送付しなければならず、
更にAppleの修理明細を送付する前に再度電話連絡する必要まである。余計な手間がかかるのだ。


なので、この案内の仕方はおかしいのでAppleから修理明細が届いてその旨を連絡した際に、窓口の方に陳情しようと思っていたのだが、驚いたことに「auの申請書を送付する際の消印日を以って有効とする」という案内をしたことが引き継ぎされておらず、「機種変更前に手続きを完了する必要がある」と言われてしまったのだ。


■被害者を守る会結成
なんだかなぁ、と思いつつも云々と事情を説明し、最後にその案内はおかしいですよと、変えたほうがいいですよと陳情したのだが、いかにも早く電話を切りたそうに話す窓口のおねいさんの声を聞いていると、もうどうでもよくなったというのが正直なところだ。


というわけで、機種変更に際して下取りサービスの利用を検討している人は、申請がギリギリにならないようにするか、この茶番的ご案内について予備知識と愛を以って接すると窓口のおねいさんの被害者を減らせますよというお話でした。


またあそぼーね。。。