前半
盗作で屠られる人々と本質を盗むハックル氏
コンテンツの価値とは何かを探る、岩崎夏海クリエイター塾。今回はコンテンツを巡る、ある問題が取り上げられました。
ネット上でフォロワーを稼ぐための「パクツイ」や、ネット上で盗用するならまだしも、それらの画像を集めて出版までしてしまったK氏などの「盗作」にまつわる多くの問題がありました。
こうした問題を見るにつけ、ハックル氏の胸にはいつも複雑な思いが去来するのだそうです。
なぜなら、ハックル氏は自身を「盗作家である」と自認し、オリジナリティーなどというものを持たず、盗作しかしていないにも関わらず、誰からも訴えられず問題にもならないからだと言います。
そのようなハックル氏自身の意識との乖離がなぜ起こるのか。それは、多くの人が作品の表面的なものにしか価値を置いておらず、世の中で騒がれているものは盗「作」などではなく、ただの「横流し」で何の価値もないからだと断じます。
両者の違いとは何でしょうか?
それは、「本質に目を向ける」ことだとハックル氏は説きます。
「本質」はいくら盗んでも訴えられることはなく、作品を世に出すのならば、本質に目を向ける能力を身につける必要があると言います。
著作の一つである「もしドラ」で何を「盗んだ」のかがわかるブロマガ記事です。
ここで、社会における「理想論」とは何だろうか、という問いかけがありました。
このひどくあいまいで、主語のない言葉は、誰にとっての理想なのかと。
そして「競争社会」はなぜ行われているのか。
なぜ人間、ひいては動物がこの世に出てから今日に至るまで、あらゆる社会で競争が行われ、これからもそれが続いていくのか。
それは、「適度に殺される」ことが合理的で理想的であり、「競争」こそが社会にとっての「理想論」だからだとハックル氏は説きます。
そして「競争社会」においては「皆が幸せ」は不可能で、競争に勝ったものだけが幸福に浴するのだと言います。
ハックル氏は正義的な想いから、本質に目を向ける能力を身につければ、訴えられることなく作品を作ることができるということを伝えようとしてきたそうです。
しかしながら、その思いが伝わらないという経験を多くした後、この考えに至ったそうです。
そして彼らーー著作権絡みの問題を起こす人間は、嬉々として「屠(ほふ)られる」側として生きているのだと結論付けます。
物事の表面をなぞるようにして問題を起こし、敗れて叩かれて社会や業界から屠られる、競争社会であるが故に生まれてくる存在を「STAY」する必要性を学んだのだそうです。
この残酷さをどう受け入れるのかについて、ブロマガ連載の競争考で触れられています。
名作が教えてくれる本質へのアプローチ
では、どうすれば表面的なものにとらわれず、本質に迫ることができるのでしょうか。
これには判断の難しさがあり、なかなか本質にたどり着くことができないため、本質にいかにアプローチするかを学ぶ必要があると、ハックル氏は説きます。
そこで、宿題となっていた、小説「第九軍団のワシ」を「疑いようもなく面白いもの」として読むことができたか、ということが重要であるとして、なぜ著者であるローズマリ・サトクリフがこのような魅力的な作品を上梓できたか、執筆に伴う数々の障害をどのように「ジャンプ」したのかについて話されました。
ハックル氏によれば、著者は本質にアプローチする方法を学ぶことで、
・女性でありながら魅力的な男性的世界観を描く
・脚が悪かったにも関わらず疾走感あふれる描写を行なう
というように、空想で現実の壁を破るーー「ジャンプ」することに成功したのだそうです。
では、著者が採った本質へのアプローチとはどんなものだったのでしょうか。
それは、主人公・マーカスがある特徴ーー「矛盾した要素」を持っていることがヒントになります。
多くの鑑賞者がマーカスの矛盾が壁となり、魅力を感じることができないそうですが、この作品で魅力的に思えないシーンがあったとすれば、それは鑑賞者に問題があるのだとさえ、ハックル氏は言います。
これは、本質を見抜こうとする心持ちが、矛盾や葛藤ーー自分自身のものでもあれ鑑賞の対象となっているものであれーーを携えて生きていく、という決心の向こう側にあるのだということを教えてくれるのです。
このことを始めとして、作品中やハックル氏の日常の出来事や分析の中から、矛盾と葛藤を受け入れる心性の例が話されましたが、ここではトピックの提示のみに留めたいと思います。
・制限された中に美を見出す
・信用しないことの価値
・幸運は不幸の形をしてやってくる
・失敗はあえて怒る
・純粋なまでに不純な子ども
・自分を他人のように見る客観性
・無個性に怯える個性派
しかしながら、ものをつくるために価値観の本質に迫る道は、ある意味では社会性や生きやすさに逆らうバイアスを持つために、非常に生きづらくなってしまう可能性があるとハックル氏は指摘します。
その過程でよくないものーー反社会的なものに頼ってしまう人もいます。
ハックル氏が好んで見るテレビ番組のひとつである「なんでも鑑定団」で紹介される偉人たちが、早死にか長生きかのどちらかであることを例に挙げ、バランスをとることに成功するかどうかが、その命運を分かつことになると言います。
このようなリスクがあるにも関わらず、好奇心を満たすこの道は、その代償を払うに値する面白さがあるのだとして、授業の前半を結ばれました。
後半
前回の授業では、物語に洗練された世界観を付与する方法として、「問題解決思考」について話されました。
今回はクリエイトの本質である「換骨奪胎」において壁となる「味付け」についてが語られました。
凡庸で無個性な主人公
多くの人がコンテンツを作る際に陥りがちな過ちとして、「主人公が個性的である」というものがあるそうです。
ですが、主人公は凡庸で無個性であることが必要であるとハックル氏は言います。
そして、これまでに日本で生み出されてきたあらゆるコンテンツの中で最も理想的な主人公は誰か。日本人なら誰でも知っている、凡庸で無個性な主人公は誰かという問いかけがありました。
それは、「ドラゴンクエスト」の主人公であるとハックル氏は言います。鑑賞者ーードラクエで言えばプレイヤーは、無個性な主人公に自分を反映させることでその物語に入り込むのだそうです。
これは
第三回授業での「
究極のコンテンツは『観ている者の内面を反映する鏡』のようなものである」ということと繋がる部分があります。
そして、さらに共感を得る効果的な方法として、「欠点」を与えることが提示されました。
人は自分の持つ欠点に惹きつけられるため、多くの人が共有できればできるほどいいとハックル氏は言います。
ハックル氏はこの例として「電車で酔っ払いに注意できない」ということを挙げます。
これは「自分には勇気がない」という、多くの人から共感を得ることができる欠点であり、
・スターウォーズ
・バックトゥザフューチャー
・ドラえもん
などのコンテンツでこの欠点が使われていると指摘します。
共感アンケート
続いて、どんな欠点が共感を得ることができるのかを全員が考えて発表し、それに対してそれぞれが一人三票の持ち票で投票するという形式で、共感アンケートが行なわれました。
その結果を上位3位まで発表します。
一位・お金がない(10票)
二位・コミュ障(7票)
三位・友だちがいない、感情的、お金を稼げない、人から評価されない(各5票)
このように、人が何について悩み解決できずにいるのかを考え、ーー解決できるものではないが、何が根本的な問題となっているのかを見つけることが重要であるとハックル氏は言います。
問題の本質を見抜き、どのように向き合っていくべきなのか、ここでは幾つかのケースを例に挙げながら、このプロセスについて説明がなされました。
小説「第九軍団のワシ」で、主人公のマーカスは旅の終わりに、心の拠り所として苦しみのなかで思い描いていた故郷を、捨てることを選択します。
このことが「親を大事にすることは、本質的ではない」という考えに繋がることを示します。
なぜなら多くの場合、親や老人を大切にすることは、自分もそうして欲しいという感情からきているからだとハックル氏は指摘します。
本当に大事なのは、人の生命は軽いが故に世界が回っているという厳然たる事実を受け止め、その生命の循環に思いを馳せる心性なのだと。ある意味では、前半で取り上げた競争社会で敗れて屠られる人と同様に、いつかは自分もその循環の中に否応なく飲み込まれていくのだという覚悟を持つことだと、ハックル氏は説きます。
つまり、マーカスは故郷に帰るか現在の場所に留まるかという問題に対し、「親ーーひいては故郷を大事にしない心性」で故郷を捨てて辺境で生きる決断を下したのです。
他にも幾つかの例が挙げられましたが、ここではひとつだけ取り上げるに留め、他はトピックの提示のみとさせていただきます。
・努力放棄の非モテスパイラル
・日本の底辺層に欠けている加害者意識
・武井壮氏のセクハラ炎上は三方よし
簡単だけど難しいクリエイト
そして最後に、次回の宿題となった映画「セント・オブ・ウーマン(Scent of a Woman)」のワンシーンを手掛かりに、クリエイティブへと向かう心持ちを敷衍します。
それでもまだハックル氏の持つコンテンツの奥行きには、底が見える気配がありません。まだ潜っていかなきゃいけないのかと、時々息苦しさを感じるほどですが、これこそが僕が求めていたものという確信があり、好奇心は尽きません。