2014年9月5日金曜日

岩崎夏海クリエイター塾 第四回に参加してきました!


2014年8月23日に渋谷で行われた、ハックル氏(@huckleberry2008)こと岩崎夏海氏の主催する『岩崎夏海クリエイター塾』の第四回に参加したので、レポートをお届けしたいと思います。

今回の宿題は、『ハックルベリー・フィンの冒険』を読むことでしたが、併せてオススメされていた『小説の読み方の教科書』も、もちろん読みました。

『小説の読み方の教科書』は岩崎氏の著作で、『ハックルベリー・フィンの冒険』をテキストとして、正しい小説の読み方を学ぶ、というものなのですが、これを読むか読まないかで、小説の読み方の深さが全く違ったものになる、とても素晴らしい内容でしたので、是非ご一読されることをお勧めします。




メニューはこちら!


・アーリーアダプターとしてのハック
・ヤンキーくんと右翼ちゃん
・高尚と低俗のはざまで


アーリーアダプターとしてのハック

まず、テーマとなった小説『ハックルベリー・フィンの冒険』が、なぜ長きに渡りアメリカを始め世界中で『価値』のある作品として評価され続けているのかについてが話されました。
それは、南北戦争を契機とした、人々のある変化を予言・予見し、作品へと反映した『アーリーアダプター』として評価されているというものでした。

※小説の発表は1884年。南北戦争は1861年から1865年の間行なわれ、小説の舞台は1830年から1840年と言われています。ーーWikipediaより

アーリーアダプターであることの重要性や、岩崎氏のアーリーアダプターとしての能力については、下記のブロマガでも言及されています。

"あえて逆風を受ける煩わしさを引き受けたのは、そうしたリスクを取ることで、やがてアーリーアダプターとして評価されるというリターンを得ようとしたからだ。"
株は安値で買わないと儲からない(2,270字) ※有料コンテンツです
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar15520

前述の『小説の読み方の教科書』に、なぜ『ハックルベリー・フィンの冒険』がアーリーアダプターになり得たかのヒントが書かれています。
それは、偉大な作品が生まれる背景として、大きな「時代の変化」と、二つの時代を生きるなかで作家が感じる「心が二つに分断されんばかりの葛藤」があり、その中で著される「葛藤の解決策としての小説」が世界文学の名作となるというものでした。

葛藤の解決策として著されるということは、当然そこに作者としての何かしらの「決断」が含まれているとも語られています。

"そうして、それが激しくせめぎ合ったために、彼の心の中で、一種の内戦が起こるようになったのです。彼自身の心が二つに分断されたために、自分をどちらに置くかということにについて、彼自身が決断を迫られたのです。"

そして、どのようにしてマーク・トゥエインが自身の立場に対する「決断」をくだしたのだろうかと考えたときに、『夕陽的』であろうとしたのではないかと想像しました。

"だから、夕陽の美しさに鑑みて正誤の正しさを判断すれば、誤りが少なくなる。ある事象を見て「夕陽的か否か」が分かれば、その判断がつくのである。"

競争考:その18「夕陽的とは何か?(前編)」 ※有料コンテンツです
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar607928


かくして、マーク・トゥエインは、アメリカ文学史、そして南北戦争後のアメリカ人の新しい価値観の変化に対するアーリーアダプトに成功し、『ハックルベリー・フィンの冒険』は後述するその他の小説としての魅力を兼ね備えていることで、いまも世界中で評価される名作となったのです。


ヤンキーくんと右翼ちゃん

アーリーアダプターたるためには、ある程度のリスクを取らなければなりませんが、下に挙げる要素を考えることで、大まかに流れをつかんで流行を予測することができるそうです。

・今、なにが流行っているか
・それはなぜ流行っているか
・その流行はどのように衰退していくか

ここでは、ゆとり教育の弊害として増加したヤンキー、戦後的プロパガンダーー主に被害者としての戦争を語るーーの反動として生み出された右翼という二大流行が、政策や教育といった社会的構造がものごとを左右する好例として提示されました。

なぜこの層が大量に生み出されたのか、そしてこの流行がどのように受け入れられているのかの考察は、非常に興味深いものでした。

そして、ヤンキーと右翼に受け入れられているものには、どこかバランスを欠いた面があり、このことが否定されることによって、次の流行へと繋がっていくので、それらがどのように否定されるか、ということを考えることが重要とのことでした。

これは、以前にブロマガで紹介されていた、『破れ目』の概念に近いものと思われます。

"そして前述したように、人々は、破れ目があればそれを修復する方向に動くから、この破れ目も、やがては塞がれる方向に動くことが予測される。"
株を安値で買う方法 ※有料コンテンツです
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar16744

これはゆり戻しとも言われ、多くの場合、時間をかけて行きつ戻りつする波のようでもあります。
このように、時間の経過から流行を予測する方法として、ドラッカーの『ある発明が定着するまでには30年かかる』ことや、現在の小学生に流行っているものから、彼らが購買力を持つようになる頃に受け入れられそうな価値を、コンテンツの哲学として取り入れることなどが、具体例とともに紹介されました。


高尚と低俗のはざまで

クリエイターとしての能力の高さや、コンテンツの深層にある哲学性は、流行したり、評価される絶対的なものではない。
先に挙げた、ヤンキーや右翼文化に代表されるように、哲学性のない低俗なコンテンツが広く受け入れられることは少なくありません。

ですが、ここで題材とするのは、二層のレイヤーを持った懐の深いコンテンツがどのような構造となっているかです。
その二層とは、表層の『単純明快な「おはなし」』深層の『深遠な哲学』であり、『ハックルベリー・フィンの冒険』において層をなしている要素は下記のようなものが挙げられました。

・ハックの聖性
・嘘の哲学性
・自己言及

それぞれについて詳しくお話しがありました。


終わりに
コンテンツメイキングにおいて、高尚か低俗かという問題は避けて通れないと考えていたので、今回の講義は非常に刺激的なものでした。

パチンコ屋でPOPデザイナーのアルバイトをしていたときに、上司から天才との評価をいただいて複雑な心境になったことを思い出しました。

次回(09/06)は、映画『パルプフィクション』を見てくるようにとのことでしたが、『ハックルベリー・フィンの冒険』についてのディスカッションなる可能性もあるそうです。



岩崎夏海クリエイター塾レポート・リンク集
http://blogger.naminoritaishi.com/p/huckleberry.html

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