皆さまこんにちは、波乗りたいし(@naminori_taishi)です。
2015年7月11日に渋谷で行われた、ハックル氏(@huckleberry2008)こと岩崎夏海氏(以下、ハックル氏)の主催する「第二期岩崎夏海クリエイター塾」の第十二回に参加したので、レポートをお届けします。
第二期岩崎夏海クリエイター塾は、概ね1時間目にハックル氏による講義、2時間目に塾生による宿題(映画であることが多い)作品のプレゼンテーションとそれに続くハックル氏の講評という形式で授業が行われています。
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第二期岩崎夏海クリエイター塾の最終回となった今回は、ハックル氏を中心に制作され、ぴあフィルムフェスティバル(以下、PFF)に応募された自主制作映画『小劇場のボクサーたち』の審査結果発表があった。そこから、クリエイティブに向かう際に肝要な心持として「復讐心」が導き出された。
面白い映画があるからと女の子を部屋に誘った結果 - 源氏山楼日記
http://genjiyamaro.hatenablog.com/entry/2015/03/27/170924
宿題となった映画は、以下の3作品である。
・コーエン兄弟監督『FARGO / ファーゴ』
・マーティン・スコセッシ監督『GoodFellas / グッドフェローズ』
・クエンティン・タランティーノ監督『Jackie Brown / ジャッキー・ブラウン』
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- 一流と超一流を隔てる谷
- 復讐心が人を生かす
- 客観視なくして理解なし
■一流と超一流を隔てる谷
この授業の前日に、ハックル氏の元に、PFFに出品した映画の落選通知が届く。そこで、ある感情が呼び覚まされた。それは、海老沢泰久氏著『ただ栄光のために―堀内恒夫物語(新潮文庫)』のエピソードに喩えられる。堀内恒夫選手のフィールディングがあまりに上手く、本気でやっていないように見えたために、コーチから咎められたというものだ。巨人軍のコーチという一流の人間であっても、超一流を見抜くことができないという深い谷があるのだ。この問題は様々な局面で表面化する。ハックル氏のブロマガでは、ある将棋の対局で羽生善治さんが打った一手の価値を見抜くことができたのが、同じように棋士として超一流の米長邦夫さんだけだった、という例が紹介されている。
競争考:その3「相対的な価値と絶対的な価値とではどちらが上か?」(2,322字)
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar523834
この例では、羽生さんと米長さんの実力の高さが証明されるというポジティブな作用であったが、多くの場合、それは深甚な影響をクリエイターにもたらす。以前、岩崎夏海クリエイター塾で課題となった映画『アマデウス』では、モーツァルトが作曲する音楽の真の価値を知るのはサリエリだけという様態が描かれ、モーツァルトは苦しみの中でその生涯を終えた。
そしてハックル氏もまた、『小劇場のボクサーたち』のなかに、複数の「痕跡」を残したのにもかかわらず、審査員はそれを読み解くことができなかった。30代でご自身の小説が理解されず、「すべての編集者はバカである」と悟っていながら、映画に携わる人に対しては「まともな人間であろう」という買い被りをしてしまった。同じレベルの読み解きをしてもらえるという予断を抱き、過ちを繰り返した。映画の見方を知らない人間が審査に携わっているとは、露ほども思わなかったのだ。
■復讐心が人を生かす
小説に関してはハックル氏はご存知のとおり2009年に「もしドラ」を出版され、リベンジを果たした。映画においても当然、捲土重来を図るお心積もりであるが、そこで重要になるのが冒頭に挙げた「復讐心」なのだ。ハックル氏は手塚治虫氏著『BLACKJACK』(ブラック・ジャック)のエピソードからそれを説明する。
「復しゅうこそわが命」で、ブラック・ジャックは、家族をテロリストに殺され自身も瀕死の重傷を負った女性を治療するのだが、彼女はブラック・ジャックをその犯人だと思いこんでいる。しかし、ブラック・ジャックはあえて誤解を解かず、リハビリを施し続ける。完全に回復したあとで、勘違いだったということがわかるのだが、なぜ誤解を解かずにいるのかという周囲の疑問に対して、ブラック・ジャックはこう答える。
「家族を失って生きる気力を失いかけている彼女を支えているのは、自分への復讐心だけだ。その気持ちだけが、彼女に生きる努力をさせている」
復讐心が人を生かすことがあることを知っていた手塚治虫氏の透徹がここにあり、そして人を真に奮い立たせるのは「復讐心」であるとハックル氏は言う。
■客観視なくして理解なし
ハックル氏をクリエイションに導いたのは、前項において述べた「復讐心」であった。ハックル氏は3歳のときに「理解されない」という思いを抱き、爾来伝え方に関する技術を磨いてきた。しかしクリエイションにおいても実生活においても、「理解されない」壁は常に付きまとっていた。明確に論破しても、理解をもたらすことができないことがあるのだ。なぜなら、相手に自身を客観視する気持ちがなければ、それが正しいことであっても相手は理解することができないからだ。
そして客観視することは、自身の矮小さを直視することでもある。ゆえに苦しみが伴うために、多くの場合はそれを受け入れることができない。先般の例で言えば、PFFの審査員は自分に見る能力がないことを、客観視できない。かてて加えて、彼らは「自分は客観視できている」と勘違いしているのだ。
翻って岩崎夏海クリエイター塾では、古今の偉大なクリエイティブに触れ作品の構造を見抜こうとする中で、ハックル氏が繰り出す本質へのアプローチの前に、自身の矮小さを否が応にも突きつけられてきた。塾生たちは、より大きなものに寄り添うことを学び、それぞれの人生に変革をもたらした。その実例を、一部の塾生による今回のプレゼンテーションから抜粋して紹介し、本稿を終えたい。
S山氏
外資系人事コンサルタントのS山氏は、『ファーゴ』の大きなテーマでもあり、岩崎夏海クリエイター塾で学んだクリエイティブの本質ともなっている「嘘」に注目した。そして「大きな嘘」で部下と自身を動機付け、逆に「小さな嘘」で逃げようとする部下を窘めることで、業務上の難局を乗り越えた自身のエピソードと結びつけ、クリエイティブに触れることが、人生を良いものに変えていくことを証明した。
K谷氏
画家であり、短大で美術の教鞭を執るK谷氏は、『ジャッキー・ブラウン』の登場人物から受ける印象を、抽象画として表現した。ハックル氏は、絵を描くことが映画と現実を結ぶ「コード」を読み解く手段として適しているとして、この試みを賞賛した。
K谷氏は、画家としての矜持を一旦「リリース」することで、今秋に文章で商業出版デビューすることとなった。
K上氏
ハックル氏が発表するほぼすべてのコンテンツに触れ、岩崎夏海クリエイター塾随一かつ生粋のハックル氏ファンであるK上氏は、伝え方の工夫として、毎回映画の画面キャプチャを用いるという周到さでプレゼンテーションを展開した。『ファーゴ』において、登場人物の住む町の位置関係や規模、生活習慣などからそれぞれの人物に設定された対立概念を導き出す分析を行ない、ハックル氏をもうならせた。k上氏の岩崎夏海クリエイター塾に対する姿勢は、コンテンツのいち消費者としてのありようをこえて、魅力的な場を持つコンテンツとして作り上げていく上で欠かせないものであった。
O原氏
O原氏は『グッド・フェローズ』冒頭の「ギャングになりたかった」という一言が、「自分と違うと思える」ことで、不要な感情移入が排除され、受け入れがたいギャングの世界観の映画が見やすくなることを見抜いた。O原氏は、これまで受けたハックル氏からの数々の指摘を余すことなく受け入れ、岩崎夏海クリエイター塾塾生中で最も成長したと言わしめた。
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2014年の7月から1年かけて参加してきた第一期および第二期岩崎夏海クリエイター塾は、ひとまず終了となりました。自身の総括は機会を改めるとして、岩崎夏海クリエイター塾という素晴らしい場を提供してくださったハックル氏と株式会社源氏山楼の皆さま、ともにクリエイティブな場を作り上げる仲間となった塾生の皆さまに、深くお礼申し上げます。
ハックル氏の執筆などの都合が重なり2016年1月からの開催予定となっている第三期まで約半年の猶予ができることになりました。その期間を利用し、1年間学んだことを生かした活動ができればと考えております。
最後までご覧くださいましてありがとうございます!
岩崎夏海クリエイター塾レポート・リンク集
http://blogger.naminoritaishi.com/p/huckleberry.html
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