皆さまこんにちは、波乗りたいし(@naminori_taishi)です。
2015年3月14日に渋谷で行われた、ハックル氏(@huckleberry2008)こと岩崎夏海氏(以下ハックル氏)の主催する「第二期岩崎夏海クリエイター塾」の第五回に参加したので、レポートをお届けします。
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今回の課題は、映画『風と共に去りぬ』。
ハックル氏ブロマガの「週末に見たい映画」シリーズで、「映画史に残る傑作」として紹介されている。
週末に見たい映画#34「風と共に去りぬ」(2,178字)
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar328286
今回は『風と共に去りぬ』と、ハックル氏プロデュースの自主制作映画『小劇場のボクサーたち』(※)への取り組みから導出された、クリエイティブにおける勘所に焦点を当てていこう。
(※)このレポートを書いている最中(3/21)に映画が完成したとのブログが公開された。
【自主制作映画】完成しました! ― 源氏山楼日記
岩崎夏海クリエイター塾においてクリエイティブを学ぶとき、映画を始めとしたコンテンツそのものよりも、それを取り巻く「外郭」について語られることが多くなる。
それは、ものごとを上のレイヤーから見おろす視点を獲得することに他ならない。
しかしながら、そのレイヤーの正体についてかんたんな言葉で言い表すことはできないため、八方手を尽くして説明することになる。そのとき映画は、メディウムとしての役割を担うのだ。
本日のメニューはこちら!
- リリース
- 一周回る
- 矛盾と嘘
リリース
映画『風と共に去りぬ』は原作からして、文学としての価値が高い。
"原作の小説なのだけれど、これは文学史に残る金字塔だ。もはや永遠に廃れることはなく、格付けでいえばトリプルAの作品である。「ハムレット」や「ドン・キホーテ」と、ほとんど同列といって差し支えない。実際、書かれてから90年近くが経つけれど、いまだに読み継がれている。"
週末に見たい映画#34「風と共に去りぬ」(2,178字)
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar328286
それと同時に、小説で表現されているものを映画として表現することの難しさが立ち現れるのだとハックル氏は言う。多くのクリエイターはこの事態に直面してきただろう。
限界寸前までこだわる過程で、どうしても理想との隔たりを埋めることのできない局面を迎えることになる。
すぐれた審美眼を持つがゆえに、それに適う作品をつくり上げる道の途上には、あらゆる障害が待っているのだ。
そこでクリエイターに求められるのは、理想の状態を極限まで目指しながら、最終的には折り合いをつけて現実に寄り添っていく「リリース」のポイントを知ることであるとハックル氏は説く。
ぎりぎりの選択を自分に課し、その上で、あるポイントで執着やこだわりを捨て去るのだ。その瞬間に素材が活き始めるのを感じとることができる。
一周回る
前項の「リリース」に付随する概念として、ハックル氏は「一周回る」という表現を提示する。「一周回る」とはどういうことなのだろうか。
最近ネット上で話題になっていた、百田尚樹氏のケースから紐解こう。
これは成長の証だと思います。命を削って書いたと表明することの重要性に気づいたということでしょう。二年も経てば誰でもブーメランの一つや二つありますよ。
/ “命を削って『殉愛』を書いた百田尚樹氏、2年前の本人に「そんなこと口に出して…” http://t.co/bIdcXpkZMc
—
岩崎夏海 (@huckleberry2008) 2015,
3月 10
努力アピールの否定から二年が経ち、「一周回って」努力アピールをする百田氏を揶揄する人間が散見されたが、ハックル氏はむしろこれを成長の証と看破した。
さらにハックル氏は過去にご自身のブロマガでこんなことを書いている。結果を出すためには「伝説」が必要であるが、「伝説」をどのように演出するかと言う視点で書かれた2012年の記事である。
"まず、カッコつけることそのものはカッコ悪い。だから、あえてカッコつけることもまた、カッコ悪い。
しかしながら、「あえて」カッコつけるということは、実はカッコ悪いということが分かっていながらやっている行為なので、実はカッコつけていない、ということもできるのだ。
つまり、あえてカッコつけることは実はカッコつけていない行為なので、つまりは一周回ってカッコいい。"
伝説の作り方(2,632字)
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar13731
この記事の「カッコつける」を「努力アピール」に置き換えると分かりやすいだろう。
"まず、「努力アピールする」ことそのものはカッコ悪い。だから、あえて「努力アピールする」こともまた、カッコ悪い。
しかしながら、「あえて」「努力アピールする」ということは、実はカッコ悪いということが分かっていながらやっている行為なので、実はカッコつけていない、ということもできるのだ。
つまり、あえて「努力アピールする」ことは実はカッコつけていない行為なので、つまりは一周回ってカッコいい。"
「一周回る」イメージを掴むことは、普段の生活のなかでも取り組むことができる。
具体的な取り組みを三つほど紹介しよう。
・前フリでトークのハードルを上げる
お笑いやトークの教訓として、「面白い話があるんだけど」という前フリをしてはいけないというものがあるが、あえて前フリでハードルを上げ、その上で相手に面白いと思わせる話し方をする。
・ネジをもう半周回す
一時期ネット上のバズワードになっていた「意識高い系」が半周回って下火になっているが、そのネジをさらに半周回して、あえていま意識高い取り組みをする。
・善行の修練
普段から行なう善行を決め、「いい人に思われたいと思っているようには思われたくない」という気持ちを乗り越えて、人前でも善行を行なう。
■矛盾
人は矛盾なしに生きていけない。人は矛盾とともに生きている。
このように言われてピンとくる人は、あまりいないだろう。ここでいう矛盾とは「コンテンツとしての物語」と「神話としての物語」の中に立ち現れるものだ。もっとも本質的な矛盾は「嘘と真実」であろう。
この矛盾の意味するところを、まずは「コンテンツとしての物語」から見てみよう。
ところで、歴史に残る名作に関する面白い共通点がある。
『ドン・キホーテ』を著した、ミゲル・デ・セルバンテスに肩を並べる作家とも評されている、ガブリエル・ガルシア・マルケスの代表作『百年の孤独』と、『風と共に去りぬ』が、作者の祖母による「語り聞かせ」に端を発していることだ。
これにどんな意味があるかというと、『風と共に去りぬ』では南北戦争という現実に、マーガレット・ミッチェルの祖母が受け取った「印象」という嘘が入り込み、さらにマーガレット・ミッチェル自身の「想像力」という嘘が混ぜ込まれたのだ。
想像力とは「嘘と現実を織り交ぜる力」であり、現実が嘘と混じり合うところに物語の魅力が表出するのだ。
ハックル氏はこの考えを、太極図を用いて説明する。
太極図が示すものは、「嘘と真実が入り混じった様相」、そして「嘘の中にこそ真実があり、真実の核心は嘘である」という概念だ。
さらにハックル氏は、近松門左衛門の芸術論として聞き伝えられている「虚実皮膜」という言葉を引いて敷衍する。
"〈芸といふものは実と虚(うそ)との皮膜(ひにく)の間にあるもの也。……虚にして虚にあらず,実にして実にあらず,この間に慰が有たもの也〉"
虚実皮膜論 きょじつひまくのろん ― コトバンク
嘘と真実が混在し、その境界が曖昧になったところに、コンテンツの価値が存在するのだ。
続いて、「神話としての物語」もまた「嘘」が重要な意味を持つ。
神話の原型は、「雷の正体」などと言ったものであるが、
"雷鳴を「神鳴り」ということからもわかるように雷を神々のなせるわざと見なしていた。"
雷 ― Wikipedia
これはもちろん「嘘」である。だがそれに対しての知識が乏しいために、恐れを抱く人間はこれを「真実」として受け取り、自分を安心させる。
現代においてもこれと同様に様々な物語が必要とされ、「真実」として流布されていく
人々は、この矛盾のなかに、否応なしに巻き込まれながら生きていくことになる
これが、この項の冒頭で言及した「人は矛盾なしに生きていけない」という言葉の立脚点である。
そして、現代において最も人々が巻き込まれている物語にはどのようなものがあるだろうか。
それは「すっぱいブドウ」の寓話であろう。
すっぱい葡萄 ― Wikipedia
しかしながら、人々に本当に付与されるべきは、「すっぱいブドウ」の物語を「解体」する物語なのだ。
"「ブドウ」が手に入らないのは、それが「すっぱい」からではなく、「自らの能力が足りない」からだと受け止められたとき、人間の心は浄化されたようなすっきりとした気持ちを味わうのだ。アリストテレスは、その状態をカタルシスと呼んだのである。"
ライトノベルの書き方:その10「物語の解体方法」(1,912字)
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar751307
ここで言う「ブドウ」は人によって、成長かもしれないし、金銭かもしれないし、または名誉かもしれない。だが多くの人は、ブドウが手にはいらない責任を自分の側に引き寄せることができずに「嘘」に騙され続ける。
「すっぱいブドウ」は自分が縋りたい「嘘」の物語であり、クリエイターはその物語の核心にある「嘘」をメタ視点で認知できなければならない。「嘘と真実」をそのまま受けとるには修練が必要なのだ。そして岩崎夏海クリエイター塾はその修練の場ともなっている。
修練を積んだ先に見える真実は、世知辛いものであるに違いない。実は人を幸せにするのは「嘘」の方なのだ。
ハックル氏はこの状態を「楽しくないことが楽しい」と、自嘲めいてはいるが、クリエイティブに対する覚悟が仄見える言葉で言い表わす。
そんな心持ちを表すような、ハックル氏がTwitter上でシェアされていた記事を引用し、本稿を終えたい。
“考えさせられる画像くれ:キニ速” http://t.co/S8wvn3wMmt
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岩崎夏海 (@huckleberry2008) 2014,
11月 2
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またあそぼーね!
第一期岩崎夏海クリエイター塾レポート・リンク集
http://blogger.naminoritaishi.com/p/huckleberry.html